フランス中等教育における学校間格差の一側面

―コレージュの「人種化」をめぐって―

 

La dualisation des collèges publics français :

à propos de l’« ethnicisation » de certains établissements populaires

 

 

La disparité qui existe dans les collèges publics français fait l’objet d’études en sociologie de l’éducation. En fait, elle ne cesse de s’accentuer depuis le milieu des années 1980. Dans cet article, nous tentons d’abord de tracer l’évolution de cette différenciation des collèges publics dans les années 1980-1990.

À la suite de la politique de « 80% au bac », les passages en classe supérieure dans le secondaire sont devenus moins subordonnés aux performances scolaires. Certes la demande sociale de poursuite d’études a été satisfaite, mais l’affaiblissement de la sélection a entraîné une « fuite » croissante des élèves favorisés qui peuvent trouver une place ailleurs. La dualisation des collèges a ainsi commencé à émerger, concentrant des élèves socialement et scolairement défavorisés dans certains établissements populaires.

L’écart s’est creusé davantage au cours des années 1990. Les données statistiques l’attestent aussi : les élèves « en retard de 2 ans et plus », « appartenant à des catégories défavorisées » et « de nationalité étrangère » ont été répartis d’une manière très inégale dans les collèges français tout au long des années 1990.

 

0.導入

 我々は以下の論考で、コレージュにおける学校間格差がどのような歴史的経緯を経て発生・拡大し、現在はどのような状況に至っているのか、フランス教育社会学の文献を手がかりにして考察する。1.1-1.3節において、学校間格差の発生・拡大のメカニズムを歴史的に概観し、1980年代半ば以降のリセ「大衆化」によってコレージュでの選抜が緩和され、その結果、それまで特に問題とされなかった学校間格差が顕在化し、やがて循環的に拡大した様子をみる。2.1節ではそうした学校間格差が、90年代を通して拡大した事実を統計的データを通して検証する。学校間格差の拡大は、学校施設への特定カテゴリーの生徒の集中度によって測られるが、3.1節以降は、特定人種の生徒が特定施設に集中している事実を指摘した研究を取り上げ、学校間格差が「人種化」している様相を明らかにする。

 

1. 学校間格差の構造的生成:歴史的経緯

1.1         1980年代半ばの転換点

 コレージュの学校間格差は、Broccolichi(1995)によれば、中等教育前期における「選抜の緩和」とそれに随伴した「学校間競争の進行」の相乗的な結果であるという。そして、こうした一連の変化は、リセへの進学が著しく「大衆化」した1980年代の半ばを転換点として発生してきた。周知のように、1989年の教育基本法において、政府は10年後に各年齢層の80%が高校卒業資格(バカロレア)を取得するという目標−バカロレア取得者が年齢層の三分の一強であった時点では驚くほど高い目標−を掲げた。その後、この目標に向けた変革は順調に進行し、1992年にはバカロレアを受けるリセ最終学年生は、年齢層の60%となり、1985年の36%に対して7年間で24%の増加をみた。19701985年の増加が10%程度であったことを考えると、この時期の増加が、1960年代の爆発的な生徒増に匹敵する大きな変化であることがわかる。いうまでもなくこうした変化は、学校運営に大きな変革を強いた。それがどのようなものであったか、みてみよう。

 19701985年までの中等教育生徒の構成は、驚くほど安定的であった。とくに、生徒たちの教育課程の選択は、この期間を通して親の職業カテゴリーを反映する形のままで推移した。すなわち、高等教育につながる中等教育の「長期課程(enseignements longs)」に入る生徒の割合はこの期間を通してほとんど変化がなかったのである1)。この時代の「教育成果に現れた社会的不平等」は、進路指導における生徒の選抜を通して生みだされた。コレージュ(第6学年)に入学した生徒のうち、2年で四分の一が長期課程から脱落し、リセに入学する段階では、当初の40%まで減少していた。

 状況は1980年代半ば以降、大きく変化した。しかし、この変化は80年代半ばから喧伝さた教育の「平等化」「多様化」あるいは「個性化」というような理念から帰結したわけではない。これらの理念が教育現場で実践されることは少なく、現場の授業は、あいかわらず伝統的な「講義」を通した「押し付け教育」であったのである2)。また、この変化は生徒や保護者からの、より高い学歴に対する要求から直接帰結したのでもない。むろん、リセ段階への進学者の急増は、このような要求の裏打ちなしには起こりえない。しかし、失業や社会的転落を逃れるために高い学歴を求めるという傾向はずっと以前から存在しており、この傾向を新たな変化の動因とみなすことはできない。80年代半ば以降の進学者の急増を引き起こしたのは、こうした要因ではなく、コレージュ段階での「選抜の緩和」なのである。実際、この時期には、進路指導の基本方針に変化が生じている。まず、生徒の進路の決定に関して、親(保護者)の意向がより尊重され、かつ国民教育省の政策を現場に浸透させるために校長の権限が強化された。こうして現場の教員は、生徒=保護者側と校長=国民教育省側の両面から、進路指導における裁量を制限された。さらに、14-15歳から職業教育を導入していた「前期職業学級(CPPN)」、「見習い準備学級(CPA)」等の定員が大きく削減された(Trancart 1993 : 25)。こうした変化の結果、現場の教員は、学習達成度に基づく生徒の管理に「選抜」という方法を利用できなくなった。「選抜」をより困難なものにした変化の一つに落第と進路指導の関係がある。80年代の終わり頃、第5学年から第4学年の進級時に短期課(enseignements courts)へと進路指導するためには、第5学年をやり直す「落第」をもう一つのオプションとして提示せざるをえなくなった。この結果、現場では「どうしようもない子」を長期課程の第4学年に進級させる方が現実的な選択としてより多く取られることになった。さもないと、短期課程へ向かわない「どうしようもない子」たちを落第を通して長期間、学校に抱え込むことになるからである。結果としてコレージュにおける落第数が減少することになった(1990年には1986年と比べると25%以上減少した)。しかし、むろんこれは上述した進路指導の変化の結果であり、教育の成果が上がったというわけではないのである。

 

1.2         選抜機能の一般的低下と学校間格差の発生

 80年代半ば以前は、教育過程が不可避的に生み出す生徒間格差と、教育成果に基づく選抜とが一貫性をもって機能していた。選抜の権限を与えられた教員は成績不良の生徒を長期課程に進級させず、その結果、長期課程後期(第4・第3学年)での教育レベルは、学校間でほとんど差がなかった。特定の学校がどのような地域に位置し、どのような社会階層の生徒を受け入れるかという点では、むろん差異が存在していたが、選抜過程を経ることで、普通科リセへの進学を目指す生徒層では学校間でほとんど差異がなくなっていたのである。反面、この選抜自体はきびしさの点で学校ごとに大きく異なる可能性があった。1986年のVal-de-Marne県のデータでは、ともに「成績優秀」とされた二つのコレージュが選抜に関して両極端の様相をみせている例がある。すなわち、「庶民階級」地区のコレージュでは入学者(第6学年)全体のうち、長期課程の第3学年に進級したものが40%にすぎないのに対して、社会的により恵まれた生徒が通うもう一つのコレージュでは、その比率が75%にもなるのであった。

 全国的にみても1980年のコレージュ入学者のうち第4学年まで進級できなかった者が、非熟練労働者や農業労働者の子どもでは40%あったのに対して、教員や上級管理職の子どもではその比率がわずか3%にとどまっていた。学習達成度を反映した選抜が社会階層の違いでこれほどまでの差異を生み出していた状況で、「バカロレア80%」という政策に裏打ちされた選抜の緩和は大きな問題を生み出した。現場の教員たちは、いまや、コレージュ後期においても選抜を経ていない生徒を相手に教育活動をすることになり、生徒との葛藤を避けるためには教育レベルを下げざるを得なくなった。しかしこれは、短期的に問題を先送りしたにすぎず、結局はリセに入学した段階で、生徒たちは大きな失望を味わうことになるのだった。たとえば、庶民階級地区に立地し、選抜が極めて緩いあるコレージュ出身の生徒たちは、リセに入ると、成績の素点が平均で「半減」し、多くが職業教育課程への転換を勧められた。さらに、彼らの50%が第1学年に進級できなかった。他のコレージュ出身者の場合には、この比率が20%に止まっていることを考慮すると、彼らがリセに入ってはじめて、いかにきびしい選抜に直面したかがよくわかる3)

 教育実践の諸条件を改善することなく選抜過程を緩和することは、学校間の格差を生み出し、拡大することにつながる。生徒の社会階層に由来する教育格差が学校内での選抜によって中和されていたからこそ、学校間格差が目立つことがなかったのだ。こうして1980年代半ば以降、学校間格差が次第に拡大し、後述するように特定の学校に労働者階層の子どもや外国籍の子どもが集中してゆく。しかし、この学校間「格差」は、単に学区の社会階層的人口構成を反映したものではない。Barthon et Oberti (2000)も指摘するとおり、特定コレージュへの特定カテゴリーの生徒の集中は学区の人口構成を大きく上回ることもままある。というのも、増大した学校間格差を回避するために、人々はより「安心できる」学校へ子どもを通わせたいと願い、学校選択をするようになったからである。1984年から開始された学区制の緩和措置(藤井1999: 404)がこうした傾向を助長した。Trancart (1998 :53)によれば、1993年時点で、50%のコレージュが学区緩和措置の適用を受け、10%の生徒が割り当てられた学校とは違う学校に通っていた。さらに、私立学校への生徒流出も忘れてはならない要因である4)

 

1.3         格差の循環的拡大

 選抜過程の弛緩によっていったん学校間格差が生じると、それは循環的なプロセスにしたがって拡大する。結果として、選抜を経ていない生徒たちの「侵入」のもっとも著しい学校がもっとも回避されることになり、最終的には特定の学校が、ほかに選択の余地のない者たちが集中する「ゲットー」と化すことになる。このプロセスを少し詳しくみてみよう。

 学区制緩和を利用して学区外の学校に入学を申し出た場合、生徒は書類上のデータで振り分けられ、選抜される。そのとき選ばれるのは学校的制度・文化に対してすぐれた適応力をもつ者であり、その結果、彼らを受け入れる学校は、高い社会的な評価を維持することができる。一方、生徒・保護者側が学校を比較する時には、学校間共通試験での成績、葛藤や衝突の噂、学校施設や生徒の外見等の要素に依拠するが、実質的には微小な学校間の格差さえ、生徒・保護者側の比較・評価的な視線を通して、ほとんど不可避的に拡大して意識づけられてしまう。さらに、一部の保護者が行っている選択は、生徒や学校施設の外見など目に見える相違によっても正当化されるように思われ、他の保護者も同様の選択に駆り立てられる。こうした学校選択と特定学校のゲットー化は、居住地のゲットー化と多くの点で共通している。他に行き場のない者たちが集中しているという事実がその学校・街区を避けるべきものにする。さらに、「避けられている」事実がそこをよりいっそう避けるべきものにする。一方、他所に行くことはだれにでも可能なのではない。他所に行かなければ、自分も「他所に行くことができない」という社会的排除のスティグマを負うことになる。だから、できる限り他所に行かなければならなくなる。

 こうした循環的プロセスが特定の学校に特定カテゴリーの生徒を集中させると、生徒たちは、まさに彼らが避けられる原因となっている行動や服装面での特徴をいっそう強調するようになる。これらの特徴ゆえに他の社会的・教育的選択から排除されてしまった以上、いまやそれらを選ぶ以外に選択の余地がないのだ。こうして循環的プロセスはいっそう閉じたものとなる5)

 

2.公立コレージュ間の格差の拡大:19891997年のデータ

2.1         特定カテゴリーの生徒の分布が示す学校間格差

 1980年代半ば以降、コレージュの学校間格差がどのようなメカニズムで発生してきたか、上で検討したが、ここではその学校間格差が1990年代を通してどのように推移したか、Trancart(1998)に基づいて数値的に検討したい。Trancart(1998)は、フランス(海外県・領土を除く)のコレージュに関する3ヵ年度−1989-19904693)1993-19944849校)、1996-19974932校)−にわたる調査から、学校間格差の指標となるデータを抽出し分析している。それらの指標はいづれもコレージュに在学する生徒の特徴に関するもので、@コレージュ入学時(第6学年)における2年以上の落第経験者の割合。A第6学年生徒の出身社会階層。Bコレージュ在学生(第6〜第3学年生)のうちの外国籍生徒の割合の三つである。これらの指標を上記の年度ごとに比較検討すると、公立コレージュにおける学校間格差が年とともに拡大しているのがわかる。

 まず、「2年以上の落第経験者の割合」をみてみよう。以下の表1に示すとおり、このカテゴリーの生徒は、平均では三つの調査年度を通して一貫して減少している。しかし、調査対象学校間のばらつきを示す変動係数は逆に一貫して増加しており、このカテゴリーの生徒の集中に関して学校間格差が広がったことを示している。実際、1996-1997年の調査では、このカテゴリーの生徒が1%未満しか存在しないコレージュが全体の10%あるのに対して、対極の10%のコレージュでは、10%を超える数の同カテゴリーの生徒が存在する。

 生徒の社会階層については、「恵まれない」人々(労働者、(労働者・事務労働者の)退職者、失業者、無職)というカテゴリーが代表的な指標となる。表1が示すとおり、「恵まれない」環境出身の生徒の割合は、全国平均では三つの調査年度を通して減少している。しかし、ここでも学校間のばらつきを示す変動係数は32から40へと上昇している。こうした格差の拡大を示すデータとして、次のものがあげられる。1997年には、10%のコレージュで「恵まれない」生徒の割合が20%未満であるのに対して、もっとも困難な状況にある10%のコレージュでは、「恵まれない」生徒の割合が64%を超えているのである。

 次に外国籍の生徒の割合を検討すると、ここでも学校間の格差とその拡大がみて取れる。まず、注意を要することは、外国籍の生徒の多くが同時に「恵まれない」生徒である点である。1989年のデータでは、フランス国籍の生徒における「恵まれない」生徒の比率が38%であるのに対して、外国籍生徒の実に84%が「恵まれない」カテゴリーに属する。また、一般的な傾向として、外国籍あるいは「恵まれない」生徒たちは同時により頻繁に学習の遅れを示す生徒たちでもある。さて、以下の表1が示すとおり、外国籍の生徒の平均は、1993-1994年にわずかに増加し、1996-1997年には減少へと向かう。一方、変動係数はすでに1989-1990年においても122という高い数値を示しているが、以後、1996-1997年にかけて一貫して増加している。すなわち、公立コレージュにおける外国籍生徒の比率には大きな学校間格差があり、その格差が1990年代を通していっそう拡大したことを示している。しかも、この拡大傾向は現在も引き続いて観察される。1996-1997年のデータにしたがえば、10%のコレージュには0.2%未満しか外国籍の生徒がいないが、対極の10%のコレージュには、19%を超える外国籍生徒がいる。

 

1.公立コレージュにおける特定カテゴリー生徒の分布

生徒の特徴

1989-1990

1993-1994

1996-1997

平均

標準偏差

変動係数

平均

標準偏差

変動係数

平均

標準偏差

変動係数

2年以上の落第経験者

11.6%

6.6

56

7.3%

5.2

71

5.2%

4.3

82

「恵まれない」環境

46%

14.8

32

43.2%

16.7

39

42.3%

17

40

外国籍

8.1%

9.3

122

8.2%

10.4

127

6.9%

9.2

134

Trancart (1998:46)からタイトル、項目名を翻訳して引用。

 

 コレージュの学校間格差を如実に示すデータとして、上で検討したカテゴリーについて、全国のコレージュの平均値と、「恵まれない」生徒集中度の上位150校の平均値を比較してみよう(表2)。学習の遅れ、出身社会階層、外国籍のどの点でも、これらの150校が全国平均を大きく上回っているのがわかる。また、これら150校のうち、104校までが1994年と1997年で同一であり、しかもパリ、リヨン、マルセイユなどの大都市郊外等、特定地域に集中する傾向がある。

 

 

 

2.全国平均/「恵まれない」150校の特定カテゴリー生徒の分布比較

年度(全国平均/150

2年以上の落第経験者

「恵まれない」環境

外国籍

1994年(全国平均)

7.3%

43.2%

8.2%

1994年(150校)

21.5%

68.6%

41.2%

1997年(全国平均)

5.2%

42.3%

6.9%

1997年(150校)

17.0%

69.3%

36.0%

Trancart (1998:47)からタイトル、項目名を翻訳して部分的に引用。

 

3.特定コレージュにおける生徒の人種的集中

 前節で検討した学校間格差の一要素に、外国籍生徒の集中の問題があった。しかし、「国籍」という社会・政治的なステイタスと「人種」は必ずしも重複しない。それでは、学校間格差を「人種」という視点でみるとどのような様相を呈するだろうか。G. Felouzis, F. Liot, J. Perrotonの三名による研究Felouzis et al. (2005)は、コレージュの学校間格差が、現時点では「人種隔離」といっても過言ではない状況を呈していることをユニークな方法による独自の調査に基づいて指摘していて大変興味深い。それによれば、ボルドーを中心とする大学区において、本人または家族が移民である生徒の40%がわずか10%のコレージュに集中しているという。都市郊外の居住空間と同様、特定の教育施設に移民系生徒の集中がみられるということは、直感的にはフランス社会の「常識」(Barton et Oberti 2000となり、しばしばマスコミの報道や評論にも取り上げられるのだが、この事実を社会学的調査に基づく統計的な事実として明示的に提示した点でFelouzisらの研究は大変重要であり、以下その概要をやや詳しく検討したい。

 

3.1         調査方法:生徒の「名前」に基づく人種の推定

 そもそもフランスには、「人種」に基づいた公的な学校統計は存在しない。すべての市民は「出身、人種、宗教による区別なしに法の前で平等」であることがフランス共和国の原則として憲法において保障され、国家の制度が人種の区別に左右されることはありえないゆえに、人種に関する統計自体、存在意義がないとみなされるからである。しかしこのことは、高邁な共和国原理が意図する人種区別の撤廃、すなわち人種間の融和と統合を理念的には促進する一方で、「人種による区別は共和国には存在しえない」という大前提ゆえに、かえって現実に存在する差別と隔離の社会状況を隠蔽することにもつながっていく。社会問題を「人種」というファクターからみること自体、「人種」の区別を容認することになるとする立場は、ときには重大な社会問題を「存在し得ないもの」として抑圧してしまうという倒錯を引き起こす。「人種」にまつわるこのようなフランスの言説状況を考慮すると、Felouzisらの研究はまさにタブーに対する挑戦ともいえる。しかし、人種を軸とする公的な統計が存在しない状況でどのように生徒の人種的な配分を調べることができるだろう。多くの対象人口を調査しなおすという大規模な労力負担には、個々の研究者レベルではたえられない。新たな調査に頼ることなく、すでに存在する公的なデータから、生徒の人種を割り出す方法はないか。公的データには、生徒の「国籍」も記録されている。しかし、国籍は当該生徒の人種的帰属と極めて部分的にしか対応しない。そこでFelouzisらの取った方法は、生徒のファーストネーム(以下、「名前」)を調べ、それに応じて生徒の人種的帰属を推定するというものだった。こうした推定は、移民の家族が自分たちの子どもを定型的なパターンにそって名づけるという事実、および「土着(autochtone)フランス人」が子どもにイスラム系の名前をつけることはまずない、という事実に依拠している。このような点を考慮しつつ、アフリカ黒人系の名前(例 :Keo等)、マグレブ系の名前(例 :Abdel-Ali等)、トルコ系の名前(例 :Ergul等)を手がかりにして、調査対象となった生徒を分類し、生徒の国籍も考慮しつつ、特定学校施設での特定人種生徒の偏在を明らかにしようという研究が行われた。

 

3.2         調査結果

 調査対象となったのは、2000年度におけるボルドー大学区のコレージュ在学生全員144,000人超であり、当時333校のコレージュに在籍していた。国籍だけで判断するとアフリカ黒人系・マグレブ系・トルコ系の生徒は2564人(1,7%)だが、名前による分類からの数値を加えると、6849(4,7%)となる6)。さらに、これらの人種の生徒たちは特定の学校施設に集中している。彼らの40%が、わずか10%のコレージュに集中しているのである(図1.参照)。これは大学区平均の8倍に当たる集中度である。全コレージュ333校のうち17校では、全生徒の20-40%がこれらの人種に属するのに対し、81校では、1%に満たない。人種的な配分を学校間で等しくするには、これらの人種の生徒の89%6000人以上が学校をかわる必要があるが、この数値は全生徒144,000人の4.2%、コレージュ13校分にあたる7)

 

1.ボルドー大学区コレージュにおけるマグレブ・アフリカ黒人・トルコ系生徒の割合

大学区平均4.7%

 

10%の中学校が40%のマグレブ・アフリカ黒人・トルコ系の生徒を受け入れている。

・これらの中学校の生徒の52.9%が恵まれない環境の出身者

 

Felouzis et al. (2002: 5)から表題・注記を翻訳して引用。Felouzis et al. (2005: 40)にも同一図あり。縦軸にマグレブ・アフリカ黒人・トルコ系の生徒の割合(%)をとり、個々のコレージュにおけるこれらの生徒の割合を棒グラフで示した。

 

 生徒の人種的な偏在は、教育面でも重層的なハンディキャップを生じさせる。すなわち、人種偏在が著しい10%の学校では、生徒の53%(大学区平均35%)が経済的に恵まれない層に属し、35%(同26%)が1年の落第経験者、11%(同6%)が2年以上の落第を経験している。特別クラスに入っていて、本来の中等レベルの学習についていけない生徒も8%(同3%)いる。Felouzisらによれば、こうした状況を表現するのには、「学校のゲットー化」という言い方も行きすぎではない。生徒の人種偏在がもたらすこうした「ゲットー化」はさまざまな問題を引き起こすが、次節では人種偏在のある学校における成績評価と進路指導のあり方を検討し、1.2節で指摘した選抜の先送りが人種的な色合いを帯びる現実をみる。

 

3.3         成績評価のゆれと選抜の先送り

 1.2節で指摘したように、「バカロレア取得者を80%にする」という政策目標は、コレージュにおける選抜の寛容化となって現場に反映した。短期課程への進路指導が政策的・制度的に難しくなる状況で、それ以前には振り落とされていた生徒もとりあえず進学を認められ、選抜がリセ以降に先送りされることになった。Felouzisらが調査したボルドー大学区のコレージュでも同様の傾向が観察され、しかも選抜の寛容化の「恩恵」を受けるのが、特定人種の生徒であることも判明した。

 Felouzisらは、「コレージュ修業証書(brevet des collèges)」の成績評価によって、学校間の学力格差と人種偏在の関係を調査した。この修了証書の合否は、学校間で共通の筆記試験とコレージュ最後の2年間(第4・第3学年)における長期成績評価とによって判定される。合否判定はさほど選別的ではない(全国平均合格率約79%)が、進級が遅れている者や経済的に恵まれない者たちの合格率は低くなる。また、アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒たちの合格率は54.2%と土着フランス人のそれ(80.1%)を大きく下回っている。これらの人種の生徒たちは、しばしば経済的に恵まれず、学習が遅れており、そして人種偏在がある学校に通っている。彼らは中等教育レベルにおいて、土着フランス人と比べて重層的なハンディキャップを負っているのである。

 学校間で評価基準の違いがない共通筆記試験の成績を検討すると、アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系生徒が20%を超える学校では、20点満点で1点他の学校よりも低い。これらの人種の生徒たちに課された重層的なハンディキャップを考慮すれば、これは予想された結果だといえる。一方、長期成績評価は学校ごとに評価基準が異なり、一般に筆記試験よりも「甘い」傾向がある。そして両者の差は「経済的に恵まれない者」、「学習が遅れている者」そして「アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒」の場合により大きくなる。すなわち、学習に対して多くのハンディキャップを負っているこれらの生徒は、共通筆記試験の不足分を長期評価点で補っているのである。上でみたように、人種偏在がある学校の生徒の共通筆記試験の成績は他の学校の生徒と比べて5%ほど低い。しかし、長期評価に関しては、これに対応する学校間格差がほとんど存在しない。すなわち、人種偏在がある学校の生徒たちは長期評価において「実力」よりも高い点を取っていることになる。むろん、長期評価には学習意欲の向上をねらったり、将来性を考慮したりする目的があるので、上述した傾向を一概に「不公平」として非難することはできない。しかし、この傾向は、1.2節でみた選別過程の弛緩と「選別の先送り」、それがうみだす格差の一時的隠蔽の様相をはっきりと示している。

 生徒の人種に応じた成績評価の「ゆれ」と同一の方向性を持った現象が、リセ進学を控えた第3学年終了時の進路指導においても観察される。言うまでもなくこの進路指導には、コレージュの成績が大きく影響するが、生徒たちの進路と彼らの成績の関係を検討してみると、生徒の人種や学校の特徴によって進路指導の方針にぶれが生じ、成績と進路の関係が一貫していないことがわかる。まず、「コレージュ修業証書」の共通筆記試験の成績から学力が同一レベルであると判断される場合、「アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒」の方が他の生徒に比べて普通課程のリセ(第2学年)に進級できる可能性が高い。同様に、人種偏在が観察される学校の在学生は他の学校の生徒よりその可能性が高い。たとえば、共通筆記試験で10点(20点満点)をとった生徒を考えると、それが人種偏在がない学校の生徒であった場合には78%が第2学年に進級するのに対して、人種偏在がある学校の生徒の場合、その比率は84%まで上がる。同様に9点の生徒の場合、進級率はそれぞれ69%と76%である。

 上でみたように、共通筆記試験の成績から判断すれば、人種偏在のある学校は教育効果の点では劣っていると言わざるを得ない。それにもかかわらず、これらの学校では、逆説的に進路指導に関しては積極的で「前向き」の傾向がある。これは一面、その時点では学力的に弱点がある生徒たちにさらなる「チャンス」を与えるという側面があると同時に、生徒間・学校間格差が大きく問題化することを予防的に回避し、それによって結局は格差を固定化してしまいかねないという恐れがある。

 早い時期における非可逆的な選抜を避けるというのは、機会均等の原則からも、また、発達心理学的・社会学的見地からも支持される。まだ極めて若年の生徒には、将来大きく変化する時間と可能性が残されているからである。しかし、これは、こうした生徒たちの環境と習慣に切り込むような手厚い現実的な方策にともなわれてこそ意味をなす考え方である。教育における社会的格差の研究者たち(Broccolichi 1995, Barton et Oberti 2000, Felouzis et al. 2005...)が等しく指摘するように、問題に現実的に対処するためには、教育現場の大規模で実質的な変革が不可欠なのである。

 現状のままでの選抜の寛容化は、生徒・教員間の循環的な相互依存関係を生み出してゆく。生徒の側からは、とりあえずそこそこの成績と進学への進路指導を得ることで、「学歴」が保証するかにみえる社会的上昇に希望をつなぎ、教員の側からは、学習の遅滞等の困難に立ち向かう労力と責任をまぬかれる一方で、生徒との葛藤を避けることができるからだ。しかし、こうした格差の隠蔽を通した選抜の先送りは、1.2節でみたように、リセにおいて急速に厳格化する選抜や高等教育における「落ちこぼれ」を生みだす要因になりかねない8)。とくに、選抜の寛容化の二つの側面、すなわちコレージュにおける成績・進路指導の「甘さ」とリセ以降における選抜の「きびしさ」の矛盾が、現時点では、生徒の人種的な差異に対応して現れる、という状況には特に注意を要する。すなわち、コレージュにおける「甘さ」は、特定人種の生徒たちに対する優遇策=特典として、他の者たちに「逆差別」の気持ちを抱かせ、また、リセ以降の「きびしさ」は、選抜を受ける者たちにとって、特定人種に属する自分たちだけが排除される教育的人種差別として生きられることになるのである。

 学校における特定人種生徒の偏在は、このように教育上の問題を過度に「人種化」してしまう恐れがある。すなわち、人種的な偏在を抱える学校では、すでに社会的に存在する人種差別が再生・増幅されるばかりでなく、時には学校こそが人種差別的な態度・行動を作り出す元凶となることさえあるのである。Felouzisらは、学校における人種偏在と人種差別との関係を「人種隔離状況が人種差別を生み出すのであり、その逆ではない」と要約するが、今後のフランス社会と教育を考える上で、このことばの持つ意味は大きい。

 

4.結論と今後の課題

 この論考で我々は、フランスのコレージュにおける学校間格差の発生の経緯と現状とを考察した。1.1-1.3節でみたとおり、学校間格差が問題化するほどに顕在化した根源には、そもそも後期中等教育を大幅に「大衆化」するという政策的な選択があった。しかし、教育現場ではこうした大胆な政策にみあう教育実践の変革や教育活動の充実はみられず、むしろ選抜過程を緩和し、それを通して生徒間格差が顕在化するのを当面は防ぎ、選抜をリセ以降に先送りするという戦略がとられることになった。選抜が弛緩すると、学校の教育レベルはその学校に入学してくる生徒の社会階層的特徴を直に反映するようになり、隠蔽された生徒間格差が学校間格差となって顕在化した。実際、2.1節でみたように、学校間格差は1990年代を通して広がっており、社会的・経済的・教育的に排除されたものが特定の学校施設に集中する傾向が現在に至るまで続いている。

 こうした学校の「ゲットー化」の様相をよりはっきりと示しているのが、特定人種の生徒たちが特定学校施設に集中しているという事実である。こうした人種的集中は、「学校におけるアパルトヘイト」というFelouzis et al.(2005)のタイトルが、決して単なるセンセーショナリズムではないことを示している。現代のフランスでは、コレージュの学校間格差が学校施設の「人種化」をともない、人種隔離状況として先鋭化しているのである。

 1.2節および注7で指摘したように、学校間格差を現在確認される状況にまで拡げたのは、ある層の親たちの「学校回避」によるところが大きい。しかしながら、この論考では学校回避の実態に関しては、掘り下げた考察を展開していない。学校回避を通した学校間格差の拡大のメカニズムと、学校回避が社会的平等や機会均等といった共和国原理の中核をなす原則とどのような関係にあるか、という根本的な問題は、今後の課題としたい10)

 

1) 1973年と1980年のコレージュ(第6学年)進学者を比較した追跡調査では、リセ(第2学年)進学と普通課程のバカロレア取得に関して、1980年の生徒のほうが若干減少しているという結果さえみられる。

2) フランス国民教育省の1992年の監査報告は、現場での「教育実践は第6学年生の多様性を十分考慮に入れておらず」、通常の授業外での補助教育も「伝統的教育法の調整に終始し、学習遅滞を解消すべく適切に組織されてはいない」と指摘している。

3) Broccolichi(1992: 965)は、リセ生徒への面接調査を通して、「一貫してより多くの生徒にリセへの進学を許しながら、入学した生徒のほとんどを評価の低いコースへと進路指導してゆくシステムの矛盾」を明らかにしている。面接した生徒たちの通う進学校では、落第や進路変更を余儀なくされる生徒の割合が、出身コレージュの違いによって、8%から50%まで変移するという。そしてこのような「落ちこぼれ(échec scolaire)」は、学校の教育環境・教育方法を問い直すことなく、生徒たち自身が生みだした学習成果の低さに帰され、その結果、多くの生徒は学校からは提供されない学習補助を外部に求めることを余儀なくされる。Broccolichi(1992)に収録された生徒たちとの対話は、このような矛盾を生きる生徒たちの戸惑いと失望、そして憤懣を浮き彫りにしている。

4) Maetz (2004)によれば、1990年から2000年の間、中等教育全体を通して全生徒の五分の一が私立学校に通っている。私立学校に通うのは一般的により恵まれた社会階層の子どもである。また、Maetz (2004)は落第に関して私立と公立学校間の興味深い違いを指摘している。すなわち、コレージュ段階では、公立のほうが私立よりも落第が少ないが、リセ進学時に長期課程以外に進路指導される生徒は公立のほうが多い。また、リセでは、落第はコレージュとは反対に、私立のほうが公立よりも少ない。この指摘は、本文で述べた公立コレージュでの選抜過程の緩和とそれがもたらす問題、そしてそれを回避するために私立学校が利用されるという状況を非常によく示している。

5) Broccolichi et OEvrard (1993) は、「バカロレア80%」目標を背景にした選抜の弛緩から、学校間格差と一部中学校の「ゲットー化」に至る過程を、現場の教員たちの聞き取り調査も引用しつつ、簡潔に活写している。教育現場の改革と充実をともなわない「バカロレア80%」という政策を、彼らは« politiques démagogiques »と呼ぶことをためらわない。特に彼らは、ゲットー化にいたる悪循環のメカニスムの中に、「保護者・学校管理者に対する教員の権限の低下」、「生徒の実態に合わせた個別指導の欠如」、「個別学校施設の独自性の推進と学校間競争の拡大」、「学校間競争過程での遅れた生徒の切捨て」、「現場の教員・生徒への責任の押しつけ」といった要素を的確に指摘している。

6) これらの生徒は、いくつもの不利な条件を抱えている。まず、彼らの76%は経済的に恵まれない環境にあり、51%4人以上の兄弟を持つ家庭に育ち、進級が「普通」(「特進」を含む)の者は48%(全生徒平均68%)にすぎない。言いかえれば、彼らの52%が落第を経験しているということである。学習が遅れているための特別クラスに入るものも多い。注目すべきは、同じ「非土着」フランス人でも、これらの人種に属さないのものは、さまざまな点で「土着」フランス人に近く、経済的・教育的ハンディキャップがアフリカ黒人・マグレブ・トルコ系の生徒に集中していることがみて取れる。

7) 1.2節で指摘したように、学校施設でのこのような人種偏在は、必ずしも居住空間における人種偏在の帰結ではない。著しい人種偏在が観察される学校では、人種偏在の比率が学区人口のそれよりも大きくなっている。極端な場合、学校における人種偏在は、学区の2倍に達することさえある(Felouzis et Perroton 2005)。確かに、アフリカ黒人・マグレブ・トルコ系住民が多く居住する都市近郊地域は存在する。しかし、Felouzisらが観察したようなコレージュにおける人種偏在は「学校回避」、すなわち学区ごとに指定された学校を回避して「より良い学校」に入ろうとする生徒=保護者側の戦略によって先鋭化しているのである。さらには、学校の人種偏在が、学区の人口の人種偏在をかえって強化するという逆流効果さえ観察される。その一方、「学校回避」の可能性は「郊外」の居住空間が中産階級化する前提条件となっている。すなわち、学区の指定学校以外に通学可能な「より良い学校」が存在し、かつ、「特別許可」を得て子どもたちをその学校に行かせる見通しがあるときに限って、庶民階級居住地域に中産階級が移住してくるのである。

8) 高等教育課程での「落ちこぼれ」の問題に関しては、Beaud(2002)が非常に示唆的である。これは、「バカロレア取得者80%」という政策の恩恵を受けて大学に進学したものの、十分な成果をあげずに落ちこぼれてしまった移民系労働者階級出身の若者たちの困難な道のりを長期にわたる経年的調査に基づいて丹念に描き出したすぐれた研究だが、そこでBeaudは、彼らの高等教育課程からの脱落は、文化環境に起因する学習上の困難を彼らがリセ卒業までに十分に埋め合わせられなかったためであることを明確に示している。

10) 2007年に当選したサルコジ大統領は「学区制の廃止」を選挙公約とした。これに沿って、政府は2007-08年度、「学区制の緩和」を決定した。「自己責任」と「市場原理」に基づく新自由主義的教育政策をとるサルコジ大統領の方針が、今後、学校間格差の拡大と特定学校施設の「ゲットー化」を一層進行させないか、注目される。なお、この研究は「平成19年度京都産業大学総合研究支援経費(250千円)」の援助を得て遂行された。

 

参考文献

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藤井佐知子(1999)「フランスの学校選択制度」、藤田英典編、『教育学年報7、ジェンダーと教育』、pp.399-421、世織書房。